「偽善者のゴミ拾い」
七中校区 比嘉 進
人間誰しも、他人からの言葉のせいで心がモヤモヤした経験があるだろう。
数年前のこと、ボーイスカウトのお手伝いで清掃活動をしたとき、その出来事に出くわした。
息子が小学生になり、普段の学校生活では体験できないことを経験させるため、地元のボーイスカウトへ入団させ、私も支援者として息子が大きくなった今でもボランティアを続けている。毎年、敬老の日をボーイスカウトの日と定め、全国規模で地域の社会貢献を目的に街頭清掃の奉仕活動が行われている。
その年も、「スカウトの日」に近い日曜日の朝に私たちは、スカウト(子供達)と一緒になり駅前でゴミ拾いをして廻っていた。そして、バスロータリーまで進んだところ、植え込みのブロックをベンチ代わりに座り、ビール片手に弁当を食べながら、宴会をしている人たち遭遇した。
すると、私たちの姿が目に入ったのか、「こいつら、わざわざ人前まで出てきてボランティアやってる。《ええカッコ》のアピールしてるんやで」その会話が自分の耳に届いた瞬間、こう思ってしまったのだ。
(あなた達も、ゴミ拾いをして、《ええカッコ》すればいいのに)
そう感じたのは、ある人のことを思い浮かべたからである。
東日本大震災で混乱している中、支援が届かない被害の大きかった現地へ赴き、炊き出しのボランティアを行った演歌歌手の杉良太郎さんでした。 周囲からは、このことが売名行為だとか偽善だとか言われ、本人は「売名行為で偽善ですよ、あなた方も売名でいいからやりなさい」と。
自分に投げかけられた思いがけないセリフに不思議と腹立たしさが起こらなかった理由を考えながら、黙々とゴミ拾いを続けた。確かに衆人の前でゴミ拾いをし、ボーイスカウトの活動を《ええカッコしい》に見られたい雰囲気を感じとった酔人達の言葉が図星だったのかも知れない。心の底に綿埃のような塵が堆積する気持ちになりながらも、ゴミ拾いが終わってしまった。清掃活動の閉会セレモニーの挨拶で子供達へ向けて、私はこのように語りかけた。
「今日の清掃活動を行っている意味を個人個人で考えてほしい、これが正解とか間違っているとかは、ありません。《ええカッコしい》でもかまわないんだ、一番重要なのはこの活動をずっと続けていくことです。来年も引続き奉仕活動をしましょう。」
挨拶を済ませ、みんなが解散する前にあるスカウトから、また次も参加したいとの言葉をかけられ、自分の中に芽生えた心のモヤモヤが焼却処分されるのであった。