【会報77号より】この人に聞く『サポートセンター立ち上げ中心的な役割を果たされた保護司会元副会長西村伊一郎氏に聞きました』

9月10日には寝屋川地区保護司会発足70周年を記念して式典が開催されます。今回は、サポートセンターの立ち上げからその後の組織作りに深く関わってこられた西村伊一郎氏に、記念誌には書ききれない思いを語っていただきました。

法務省から全国の保護司会に対してサポートセンターを設置するよう方針が示されたことから組織づくりがスタートするわけですが、一からの立ち上げは大変だったことと思います。 

通達があったのは平成23年3月で、サポセンを作らなあかんということになり、何から手を付けたらよいのかとても困りました。 一足先に発足されていた豊中地区保護司会に質問書を送ったところ、惜しげもなく資料を提示していただき、その後、設立準備会のメンバーで訪問。〈保護司会〉と〈サポートセンター〉を別組織として立案しました。寝屋川地区保護司会の組織は豊中をベースとしています。 その時の旗振り役は大西俊一第八代会長でしたが、みんな前向きで熱心だったことが救いでした。 

熱い思いでスタートを切った後の経過について、苦労などを聞かせてください。

初動のエネルギーで少々のことは乗り切れますが、安定してくると様々な問題が生じてくるものです。複雑化した組織を何とかわかり易く一本化した形に導く旗振り役は、次の澤井哲夫第九代会長でした。 ただ、一点、間違いがあったとすれば、それは国のいう方向とは違い、サポセンをメインに持ってこなかったことではないかと思っています。 

〈保護司会〉と〈サポセン〉という二つの組織をどのように融合させていくかということが最大の難関だったのですね。 

市企画部の尽力も大きく、人的充実もあり、サポセンには新メンバーを投入して活性化を図りました。メンバー相互のまとまりがプラスに働きました。 しかし、新しくできたサポセンの活動が活発化すればするほど、対象者を相手に地道に取り組んでいる保護司会の活動が霞んで見えるようになったのではないかと思います。 本来、サポセンが保護司会の運営を担うと位置づけられているものが、軋轢(あつれき)を生じるような構図になっていきました。 

初期の組織図には企画調整保護司という職務が置かれていたたようですが。

それは今もあります。サポセンに詰めて、実際に日々様々な業務をこなしていただいています。 サポセンが機能していくには様々な役割を担う保護司の存在必要です。どのような業務を置くか、何人必要か、共通理解をどう図るか、その役割を担うのが「企画調整保護司」です。法務省保護局からの通達にも「サポセンには企画調整保護司が駐在して、更生保護の拠点として機能させることにより保護司会任務の一層の推進と充実強化を図る」(「サポートセンター設置の趣旨」H23法務省通達第108号より一部抜粋) と明記されています。 企画調整保護司の共通理解を図るため、発足して数年は毎月企画調整会議を開いていました。また、会議終了後、毎回研修用DVDを観て保護司としてのスキルを磨くことにも努めました。 

今後の保護司会・サポセン運営に願うこと、後任へのメッセージなどをお聞かせください。

少なくとも企画調整保護司の職務についてもっと理解してもらえるようにしていく努力が必要ではないかと思っています。 白熱した議論があり、しかし、いつも楽しく、何かを生み出す喜びが味わえ、これを共有できるよう会を維持していくことが大事と思ってやってきました。 「和(やわらか)なるを以って貴しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」(聖徳太子) つまり、「和を以って貴し」の精神で、仲良く楽しく風通しの良い保護司会を作り上げてほしいと願っています。 

この10年余りを振り返って、今、どのような思いでおられるかお聞かせください。

私は、新しい発想を実現していこうという草創期に立ち会い対象者に対しても寄り添い、人にも物事にも時間にも誠実さを求めてやってきました。保護司会の活動をアピールするために各地区のコミセンを回ったこともよい思い出です。 熱い思いで仕事をこなし、組織をまとめ上げることに達成感を感じ、その場に居合わせることができたことに感謝しています。本当に充実した日々でした。 

サポセン立ち上げの頃のお話を伺って広報部が感じたこと。

新体制の立ち上げには並々ならぬご苦労があったこと、それを育てていくことの難しさ、様々な葛藤を乗り越えられてきたことなど草創期の大変さを知りました。そこに西村伊一郎氏がいてくださったことが寝屋川地区保護司会の幸いだったと思いました。 このような経緯を会員の皆さんにお伝えできて、広報部として大変うれしく思います。 

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